憲法 1条-8条/103条 天皇

【第一章 天皇】

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

この「天皇は、 日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、・・・」について考える際に、記帳所事件(最判平1.11.20)という業界では有名な事件があります。事例としては、千葉県知事が、昭和天皇の病気の快癒を願う県民記帳所を設置し、公費を支出しました。 これに対し、千葉県のある住民が、この支出は違法であるとし、 「天皇が費用相当額を不当利得した。」として、返還を求める 住民訴訟を起こしました。

裁判所の判断は「主文 :本件上告を棄却する。 上告費用は上告人の負担とする。」との判決を出しました。

この争点は「天皇は民事責任を負うものか?」ですが司法の判断は 「 天皇の象徴たる地位を考慮すると、天皇には、民事裁判権 が及ばない。」です。

理由は

人は誤って他人のモノを壊してしまったら、お金を払って弁償(べん しょう)しなくてはいけませんし(民事責任)、殺人をし たら牢獄(ろうごく)に入らなくてはいけません(刑事責 任)。 また、会社の経営者であれば経営責任を負いますし、内 閣総理大臣は政治責任を負うことになります。 このように一口に「責任」といっても、色々な責任があ ります。では天皇にはどのような責任が及ぶか、ここでは 「刑事責任」「民事責任」「政治責任」について検討して みることにしましょう。

天皇に刑事責任が生じるような状況はほとんど想像する ことはできませんが、憲法学会の通説(つうせつ)(学会 で最も支持される主要な説)は、「天皇は刑事責任を負わ ない」としています。責任を負わないことを「無答責(む とうせき)」といい、刑事責任を負わないことを、「刑事 無答責」といいます。 ただし、その根拠は大きく二つの考え方に分かれます。 まず一つは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴で ある天皇を、一検察官(けんさつかん)が起訴し、裁判官 が有罪の判決を下すことは、理論的に矛盾するという意見 です。これは天皇の刑事無答責の根拠を憲法第一条に求め る考え方です。 またこの考え方に対して、刑事無答責というのは重大な ことであるから、天皇の刑事無答責は憲法第一条の象徴規定から導くことはできないが、摂政(せっしょう)(天皇 の代理人のことで、天皇が病気などの際に、皇太子などが 摂政に就任することがある)が在任中に刑事無答責である ことを定めた皇室典範第二十一条から類推(るいすい)し て、天皇も刑事責任を負わないという考え方もあります。 ところで、「類推」というのは法律用語で、規定の趣旨 を別の事柄についても及ばせて新たな規範を見出すことで す。ここでは、「摂政は在任中刑事無答責であるから、条文はなくとも、天皇については当然に無答責である」という意味になります。 天皇の刑事無答責の根拠を皇室典範第二十一条に求める 後者の説が、憲法学会の通説となっています。しかし、私はその根拠を憲法第一条の象徴規定に求める前者の説を支持します。

次に天皇の民事責任について考えてみましょう。憲法学会の通説では、「天皇は民事責任を負う」と考えています が、最高裁判所は「天皇には民事裁判権は及ばない」という判決を示しました。 これまで、天皇に民事裁判権が及ぶかどうかについて、 あまり真剣に議論されてきませんでしたが、ある事件が きっかけとなり、最高裁判所の見解が初めて示されたのです。 それは昭和天皇がご病気のとき、多くの自治体で病気平癒(へいゆ)を願う記帳所が設置されたのが発端でした。 千葉県では県知事の判断によって記帳所が設置されたの ですが、「このようなことに税金を使うのはいけない」と いう、ほとんどいちゃもんに近い苦情が裁判所に持ち込ま れました。 なんと、住民が天皇を相手に裁判を起こしたのです。ど のような理屈(りくつ)かというと、天皇は千葉県に出費 をさせ、その公金を不当に得ているから、記帳所の設置に 使われた公金を返還するようにというもので、千葉県に代わって天皇から不当利得(ふとう・りとく)を取り戻すと いうものでした。 そして裁判が開かれました。天皇に不当な利得があるか どうかを審議する前に、果たして天皇を相手に裁判をする ことができるのかどうかという点が焦点となり、ついに最 高裁判所は、平成元年十一月二十日、次のような判決を言 い渡しました。

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である ことにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解 (かい)するのが相当である。」

この判決には学会から多くの批判がありましたが、私は この判決は妥当なものだと考えています。 もし、天皇が民事裁判で敗訴するようなことがあれば、 裁判官が天皇に賠償金の支払いを命じることになります。 一裁判官が天皇に支払いを命じるということは、憲法第一 条の象徴規定の趣旨と矛盾するからです。 また、万が一天皇の民事裁判権を認め、天皇が膨大金額の賠償をしなくていけなくなった場合、債権者は皇室の御物(ぎょぶつ)(天皇家が収蔵する美術品など)や宮中三 殿(きゅうちゅう・さんでん)(これは天皇の私有財産)、はたまた三種の神器(これも天皇の私有財産)など を差し押さえることが出来てしまいます。 裁判所の執行官(しっこうかん)が皇居の御所(ご しょ)(天皇のお住まい)に踏み込んで、テレビや家具な どに差し押さえの赤札(あかふだ)を張るということが生じる可能性があるのです。 まして、三種の神器は天皇が天皇たる証し(第7回、皇 位のしるし「三種の神器」参照)であり、これが裁判所に 差し押さえられたのでは天皇の権威などあったものではあ りません。そのような状況は日本国の象徴たる天皇には相応しくないのです。

最後は天皇の政治責任ですが、これは憲法第一条だけで は検討することができません。憲法上、天皇にはどのよう な権能が認められ、その責任を誰が負うことになっている かを総合的に判断しなくてはいけない問題です。 ですから天皇の政治責任については、憲法第三条以下で 改めて触れることにしましょう。

最判平1年11月20日第2小法廷 判決(平成 1年(行ツ)第126号)ですね。 事案は、千葉県知事が昭和天皇の病状回復 を祈願して設置した県民記帳所に県の公費 を支出したことに対し、前記公費支出は違 法であるとして、亡くなった昭和天皇を相 続した平成天皇に対して不当利得返還請求 をしたものだそうです。 第1審では命令によって訴状却下したよう ですが、これに対して抗告し、なんと訴状却下命令が取り消されたため、訴状が平成天皇に送達されず、しかも口頭弁論も開か れないまま第1審判決で訴えが却下され、 その判決も平成天皇に送達されないまま控訴、第1審判決が維持されて最高裁に上告 されたそうです。 最高裁は、第一審判決を維持した控訴審判決を「違法として破棄するまでもな」く、 上告を棄却しています。

第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

日本国憲法第1条~第8条にかけて規定されている天皇制について、お話ししたいと思います。

日本国憲法は、第1条で国民を主権者とし、天皇は象徴であるとしています。
象徴とは、目や耳などで直接知覚できない意味や価値など抽象的なものを、何らかの類似によって具象化したもので、シンボルと言い換えていいでしょう。
明治憲法(大日本帝国憲法)下では、天皇は象徴としての地位ばかりでなく、国政に関する最終的な決定権限も持っていましたが、現行憲法の日本国憲法では、国政に関する権能はなく、象徴としての地位のみが規定されています。

日本国憲法第2条に規定されている天皇の世襲制は、国民の意思と関係なく天皇の血縁者に皇位を継承させる制度ですから、民主主義の理念や憲法第14条第1項に定める平等原則に反すると言えます。でも、天皇制を維持することが困難にならないよう、例外的に世襲制を規定しています。
第2条のポイントは、平等の原則に反して天皇の世襲制を認めていることと、その理由として天皇制を維持するためという2点です。
また、女子の皇位継承を禁じていない点も注目したいところです。

日本国憲法の第3条から第8条では、天皇の権能について定めています。天皇の国事行為について内閣の助言と承認を必要とすることで、その行為に対する責任を内閣に負わせ、天皇が政治とは離れた存在であることを強調するために、国政に関する権能がないことを明記していると言えます。
天皇の国事行為とは、いずれも形式的で儀礼的な行為で、第6条、第7条に規定されています。天皇の国事行為については、試験でもよく出題されるポイントですので、次回、しっかりと取り上げたいと思います。

さて、第4条第2項には、天皇が海外旅行や病気で一時的に国事行為を行えない場合の臨時代行の制度が規定されています。臨時代行の制度は天皇の行為を一時的に代わって行うものですが、第5条では、天皇が成年に達しない場合や、精神・身体に不治の重い疾患があったり、重大な事故などで長期に渡り国事行為を行えないと判断されたときには、天皇の権能を摂政が代行することの規定がなされています。
ここでの注目ポイントは、摂政は、天皇の名で国事行為を行うという点です。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

天皇の仕事を法律用語で国事行為といいます。

国事行為についての規定には、任命、認証、公布、公示など、紛らわしい言葉が出てきます。行政書士試験にも出題される内容なので、整理して覚えるようにします。
まずは憲法6条に2個、7条に10個、合計12個の天皇の国事行為から覚えていきます。

日本国憲法6条には、天皇の国事行為のうち、天皇が任命を行う2つの行為が規定されています。
それは、内閣総理大臣の任命と最高裁判所長官の任命です。
これは、言い換えると、天皇は「行政権のトップである内閣総理大臣と、司法権のトップである最高裁判所長官しか任命しない」ということです。
さらにこれをもう一つの観点から見ると。天皇には、象徴的な立場しかないのですが、6条では内閣総理大臣は国会の指名、最高裁判所長官は内閣の指名によるものとして天皇の非政治的存在を強調しています。加えて、ここには、行政のトップは行政以外の機関で、司法のトップは司法以外の機関でという、三権分立の観点も取り入れられています。
たった2行の条文から、これだけ多くのことが読み取れます。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

さて、次の7条は、10個の国事行為を覚えます。
ここでも、天皇の非政治的存在が強調されており、立法、行政、司法のいずれもが対等であるがゆえに、天皇にその行為を行わせているということも読み取れてくると思います。前者のキーワードは「内閣の助言と承認により」です。後者については、例えば、内閣が法令を公布したり、国会を召集したりしたら、内閣が立法権に立ち入ることになってしまいますね。つまり、ここでも、三権分立が守られているのです。
ところで、7条は分かりにくい用語がたくさん出てきます。下に用語の解説を求めましたので、頑張って7条を覚えましょうね。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

8条は、皇室の財産管理について規定していますが、要は、皇室へ財産が集中することや、皇室が特定の個人と金銭授受を介して特別な関係を持ち、不当な支配力を持つことを防ぐために、皇室財産の授受には国会の議決が必要とする点がポイントです。
国会の議決ということは国民を代表する議員による議決ということなので、ここに、国民主権の考えがあります。
皇室の財産授受に関する国会の議決には衆議院の優越(のちに「衆議院優越の仕組み」というページ参照)は認められていませんが、皇室の費用に関する国会の議決には、衆議院の優越が認められます。

皇室の財産授受と皇室の費用では、取り扱いが違う事がここ書いてない風ですが書いてあります。ちなみに、皇室の財産については、憲法第88条に規定されています。

天皇と不敬罪(最大判S23.5.26)

【解説】
1945(昭和20)年8 月14 日,御前会議は国体護持の条件が容れられたと解して,ポツダム宣言が受諾され,第二次大戦は終わった。降伏文書によれば,降伏時より「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限」は連合国最高司令官に従属することになる。明治憲法的価値観は崩壊し,食糧不足・インフレの進行・失業者の激増など社会不安が深まっていた。明治末年以来の大凶作・肥料の不足・農地の荒廃・交通機関の破壊などで,食糧の遅配・欠配は日常的になり,都会では飢餓死が深刻であった。こうした状況の中で,「餓死対策国民大会」(昭和20 年11 月1 日),第17 回メーデー(翌年5 月1 日)が開かれ,世田谷住民の「米よこせ」デモが宮城に押しかけ特権的存在たる天皇家の台所や献立を発見し(12 日),その総結集として「飯米獲得人民大会」が宮城前で開催された(19 日)(加瀬英明『天皇家の戦い』[新潮文庫・1983]388 頁)。この大会で「詔書(ヒロヒト曰ク) 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ 日本共産党田中精機細胞」というプラカードを掲げて参加した被告人が,天皇に対する不敬の行為の罪で起訴されたのが,本件事案である。第1 審の東京地裁は,ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印した以上「天皇の特殊的地位は完全に変革し……天皇の一身に対する誹毀侮辱等に渉る行為については不敬罪を以て問擬すべき限りでなく名誉に対する罰条を以て臨むを相当とする」「国民統合の象徴にして且国家の象徴たる天皇の名誉の特に尊重せらるべきは敢へて多言を要しない」とし,刑法230 条1 項の名誉毀損罪を適用して懲役8 月の判決を下した(東京地判昭和21・11・2 刑集2 巻6 号603 頁参照)。第2 審の東京高裁は,本件を不敬罪に該当し有罪と認定した上で,昭和21 年11 月3 日の新憲法公布にともなう大赦令により「免訴」の判断を下した(東京高判昭和22・6・28 前掲刑集607 頁参照)。「新憲法の下に於ても天皇は仍ほ一定範囲の国事に関する行為を行い,特に国の元首として外交上特殊の地位を有せられるのみならず,依然栄典を授与し……儀式を行う等……一般人民とは全く異った特別の地位と職能とが正当に保持せられて……日本国がその正常な存立と発展とを保障せられ」るから,「天皇個人にたいする誹毀誹謗の所為は依然として」名誉毀損の特別罪たる不敬罪に該当する,ただ大赦令により免訴される,と。これに対して被告人は,ポツダム宣言受諾とその後の措置で,天皇個人や天皇制に対する批判の自由が保障され,国民主権や法の下の平等原則に違反する不敬罪も無効ゆえに,原審を破棄,無罪とすべきであるとして上告した。

【判決要旨】
最高裁の多数意見(9 裁判官)は,本件事案が不敬罪に該当するか否かの実体判断を回避し,大赦令(昭和21 年11 月3 日)によって公訴権が消滅したとして上告を棄却した。「裁判所が……実体的審理をし……確定する権能をもつのは,検事の当該事件に対する具体的公訴権が発生……存続することを要件とするのであって,公訴権が消滅した場合,裁判所は,その事件につき,実体上の審理をすゝめ……刑罰を科すべきやを確定することはできなくなる」,原審が大赦の趣旨を誤解し実体審理により有罪判決を下した点は違法であるが,免訴の判決の言渡しの結論は正しい,と。また井上補足意見は,免訴は被告人を晴天白日の身とするもので,被告人の利益となると主張した。これに対して真野少数意見は,大赦令にもかかわらず実体審理により有罪判決をした原審の違法性を認め,原判決を破棄し自判により免訴の判決を下すべきとした。栗山少数意見も大赦は犯罪性を滅却させ公訴権を消滅させるから原判決を破棄・自判で免訴にすべきと主張した。庄野少数意見は,ポツダム宣言の受諾により天皇の地位は特殊な尊厳を失い,不敬罪の保護法益もその瞬間に消滅し「本件行為当時に不敬罪が実質的に廃止されていた」から,公訴権は「はじめから無かった」ので,原判決を破棄し自判して無罪にすべきとする。一方齋藤意見は,免訴判決を実体判決とし,「一旦罪悪に汚染された者を漂白して清浄潔白ならしむるもの」で,天皇に対する不敬罪の法益は社会存するかぎり絶対消滅せず,いったん成立した法規は廃止されないかぎり存在すると主張した。原判決は正当であり上告は不適法として棄却すべきとする。霜山・澤田意見も,大赦による免訴判決を実質的判決としつつ,ポツダム宣言受諾やGHQ による「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限撤廃の覚書」(昭和20 年10 月4 日)で不敬罪が廃止・効力停止となったのではないから,原審が不敬罪該当と判断したのは正当であり,上告棄却の判決をなすべきとする。

☆プラカード事件☆

敗戦による食糧難が極限に達していた1946(昭和21)年5月19日の食料メーデー(正式には「飯米獲得人民大会」で人民広場=皇居前広場に25万人が集まり、食糧難打開を訴えた)でデモ行進中の松島松太郎氏が持っていたプラカードの一つの表には、「詔書(ヒロヒト曰ク)国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」と、その裏には「働いても働いても何故私達は飢えねばならぬか天皇ヒロヒトよ答えてくれ 日本共産党田中精機細胞」と書かれていた。

このプラカードに対して権力(検事)側は松島松太郎氏に対して刑法の不敬罪を適用して起訴した。被告と弁護側はプラカードの内容は天皇に対する政治的批判を揶揄したもので不敬には当たらず、また不敬罪そのものが天皇主権の不当な規定であると主張した。

裁判では、一審・東京地裁(46年11月2日)がGHQの示唆もあって名誉毀損罪を適用した(翌日の新憲法公布による大赦令により免訴)。

しかし被告側は、大赦令による免訴を不服とし一審の有罪そのものが不当・無効として控訴、47年6月28日控訴審東京高裁は、不敬罪が成立するが大赦令により免訴と判決、被告側はさらに上告したが、最高裁大法廷は48年5月26日、控訴権の消滅を理由に上告を棄却した。

不敬被告事件 東京刑事地方裁判所(1946【昭和21】年11月2日)
被告人 松島松太郎

記帳所

天皇を訴える?<民事編>
前回は刑事上の問題についてお話をしました。
今回は、前回の具体例のように、天皇が不注意で誰かに怪我を負わせた場合、天皇にはどのような民事上の問題が生じるかを検討します。
民事上の問題といっても、これは刑事上の問題と同様、「民事裁判権」と「民事責任」と2つに分けて考えなければなりません。
では、天皇と民事裁判権の関係について考えましょう。
刑事訴訟で天皇に刑罰を科した裁判例など存在しません。
しかし、民事裁判で天皇を訴えた「つわ者」が実は存在するのです。
その一例を紹介します。

昭和63年、昭和天皇が崩御する寸前のこと。
千葉県知事が昭和天皇の病気快癒を願い、県民記帳所を設置しました。
しかし、この記帳所設置に公費を使うことを違法として千葉県知事に対し損害賠償を、また、設置費用相当額を不当利得した昭和天皇を平成天皇が相続したとして平成天皇に対し不当利得返還を、千葉県民が千葉地裁に請求しました。

少し複雑な内容かもしれませんが、気にすることはありません。
なぜなら、結論から言えば、天皇は被告になりません、と裁判所はアッサリ判断したからです。
裁判所といっても、実は千葉地裁と東京高裁を行ったり来たりしていたのですが、いずれの裁判所も「訴状」または「訴え」を門前払いしたのです。
理由は簡単です。
天皇は象徴だから。
納得のいかない千葉県民は最高裁に上告しました。
上告理由は簡単です。
単に象徴だから天皇が被告にならないのは理由になりません。

さて、上告状と上告理由書を読んだ最高裁は平成元年11月20日、どう判決を下したか。

【判決】 上告棄却
上告人の上告状及び上告理由書記載の上告理由について。
天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものであるが、本件訴えを不適法として却下した第一審判決を維持した原判決は、これを違法として破棄するまでもない(注1)。

つまり最高裁は、上告状と上告理由書を見ただけでサッサと判決を下しています。
これは下級裁と同様、門前払いということです。
ただし、この判決には議論の余地があるのも事実です。
というのは、この判決文は余りにも単純な短文であり、象徴という言葉が明確に定義されていないからです。
また、天皇を被告にしたからといって、何故それが直ちに象徴否定につながるのか、何ら説明がなされていないからです。
個人的にはこの判決を妥当と考えますが、将来また誰かが天皇を訴えたところで判例は変更されないと思います。
結論としては、天皇に民事裁判権は及ばない、すなわち、天皇を民事で裁判所に訴えることは出来ないのです。

一方、天皇に民事責任があるのか否かを検討してみましょう。
冒頭の例で考えますと、民事責任、すなわち、天皇には治療費、慰謝料を支払う義務があるかどうかです。
これは結論としては天皇にも「民事責任はある」とするのが通説であります。
天皇といっても公務(国事行為)を離れれば、私法行為を行うものであり、象徴といっても何も法を超越した存在ではなく、民法上の私的自治の原則に服するものと考えられています。
ただし、直接天皇が責任を負うのか否かということです。
すなわち、直接的に誰が責任を負うのかが問題となるのですが、これについて宮内庁は平成17年2月18日、皇室典範に関する有識者会議(第2回)で次のような見解を示しています(注2)。

国事行為以外の行為についても天皇の行為である以上は「内閣が常に最終的な責任を持つ」ということであり、国事行為等における内閣の責任とは意味合いないしは程度が違う。

この見解は、日本国憲法第3条に基づく見解であります。

【日本国憲法第3条】
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

つまり、内閣の責任を国事行為だけに限定するのではなく、それ以外の行為にも範囲を広めて内閣に責任を負わせるという解釈です。
これを法学では「拡大解釈」といいます。
ただし、上記の見解通り、国事行為における責任よりは軽いのです。
「常に最終的な責任を持つ」というのは若干不明瞭な表現ですが、これは現実的にはまず宮内庁が責任を負い、常に内閣が宮内庁と連帯して責任を負うことになるのでしょう。
よって、被害者は、天皇(宮内庁等)に対し、治療費や慰謝料を請求することは可能なのです。
まあ、天皇ご自身の行為に関することですから、宮内庁(または内閣)はケチケチせずキチンキチンとお金を支払うのではないでしょうか。

以上より、天皇を民事裁判で訴えることはできないものの、間接的に天皇に民事責任を問うことはできるのです。

(注1) 最高裁判所の判決文は裁判所公式hpより。
(注2) 皇室典範に関する有識者会議(第2回)は首相官邸hpより。
投稿者 士書政行 時刻: 9:37

天皇に民事責任を追求した記帳所事件とは
ざっくり書くと昭和63年9月~64年1月6日まで天皇陛下の病気快癒を願う県民記帳所を千葉県知事沼田武氏が設定した。ちなみに記帳所とは来てくれた人の確認するための名前を書いてもらう台帳です。

今回はこの記帳所の設置を違法として知事の行為が千葉県の財政に損害を与えた!っと言うものです。その後天皇陛下は1月7日崩御されましたが昭和店のがこの費用を不当利得したから不当利得返還請求を申し立てたのですね。

こんなもんに県の税金を使うな!っという苦情です。いいじゃないそんなの別にって思うのですが。

そして判決の結果は以下のとおり

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないとかいするのが相当である。」

関連条文はこちら
憲法第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

正直これで民事訴訟を起こして、天皇陛下の財産を差し押さえできたらやばいよね。普通の家電とかも別に価値がなくてもオークションに出せばすごい金額になりそうだし!!俺は佳子様の写真があったら欲しいし。ってもうみんなやりたい放題民事訴訟起こしそうだもの。

まあもし訴えるのなら天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要だから訴えるならそっちだと思うんだけどなぁ。どうなんだろうか。

ラベル: 憲法, 最高裁判所判例
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富山

天皇コラージュ事件
Y.M.記
絵画の技法のひとつに「コラージュ」と呼ばれる方法があります。これは、主には新聞の切り抜きや布などを組み合わせ貼り付けていくことによって、ひとつの画像なり画面を構成していく技法のことを指しますが、他方で、実在の人物の写真に別の絵や画像などを組み合わせた形で行われることもあります。そのため、憲法的な視点からみれば、作者側の「表現の自由」と素材となった被写体側の「肖像権」が抵触する契機が生じることにもなりうるのです。
この問題に関連する有名な事件が、富山県立近代美術館を舞台としたいわゆる「天皇コラージュ事件」と呼ばれるものです。そもそもこの事件は、富山県出身の有名なアーティストが、「遠近を抱えて」というタイトルで昭和天皇の写真と女性のヌード写真などを合成した作品を作成し、それを同美術館が1986年3月に購入して展示・図録掲載していたことに始まります。当初は何事もなく公開されていたのですが、展示会終了後の同年6月に、この作品をみた富山県議会議員が、これに不快感を覚えたとして問題視する内容の質問を県議会で行い、それを皮切りとしてこの作品の非公開や廃棄処分などを求める全国の右翼団体による抗議行動が頻発するようになっていきます。そこで、事態を重くみた県教育委員会は、同美術館の管理運営上の障害と、同作品が昭和天皇の肖像権とプライバシーの権利を侵すことになるという懸念から、この作品を非公開扱いとし、その後この作品を他者に売却、さらにこの作品が掲載された図録を焼却処分するという決定を行ったのでした。一方で、この作品の公開を求める運動も大規模に展開されたのですが、この決定を覆すには至りませんでした。
これに対し、作者であるアーティストと作品の公開を求める34名の県民たちは、表現の自由と作品を鑑賞する権利や知る権利が侵害されたとして、損害賠償を請求し、同作品に対する富山県の処分の無効確認や作品の買い戻し並びに焼却された図録の再発行を義務づける裁判を起こしたのです。
1998年12月16日、第1審の富山地裁判決は、原告に対する損害賠償は認めたものの、それ以外の原告による訴えについては退けました。そして、原告被告双方が控訴した2000年2月16日の名古屋高裁金沢支部判決では、原告に対する損害賠償も退けられたのです。とりわけ、第2審判決で問題なのは、作品を鑑賞する権利を「表現の自由」や「知る権利」との絡みとしては捉えておらず、さらには、右翼団体などの抗議行動などによって美術館の管理運営が立ちゆかなくなるという理由で、いとも簡単に作品を鑑賞する権利の制約もやむなしとしている点です。また、第1審・2審判決とも、同美術館における作品の選定や処分について、県教育委員会や美術館長の広範な裁量に委ねてしまったことも問題であるといえます。つまり、本件では、美術館側は、作品の展示を芸術品として一旦認めておきながら、右翼団体などの抗議がひとたび起きるとそれを撤回し特別閲覧さえも認めないという、いわば公共の美術館としての本分を放棄して安易に一方の側の要求に従ってしまったとみることもできるわけです。こうしたことが先例となってしまえば、表現者である作者は、美術館での展示に際して常に、抗議行動などが起きないよう細心の注意を払いながら創作活動を行わなければならなくなるでしょう。これはまさに、表現活動に対する萎縮効果をもたらすことに他なりません。「表現の自由」の意義をあまりにも軽視した判決内容であるといえます。
もっとも、他方で、第1審・2審判決が共通して明らかにしている重要な点は、天皇も国民としてプライバシー権や肖像権を有するが、しかしながら公人としての地位や職務によってそれらの権利の保障は制約を受けることになるということです。現在においてもなお、皇室をめぐる事柄について言論タブー(いわゆる「菊タブー」)が存在するということを浮き彫りにしたのが、本件の大きな特徴でもありました。実際に、本件の作品を天皇に対する「不敬」として非難する右翼の抗議行動が頻発したといいます。明治憲法下の「不敬罪」を彷彿とさせるような暴論です。残念なことに、とりわけ皇室に関する言論については、それを暴力で封じようとする言論テロが後を絶ちません。こうした点を克服していくことができるかどうかが、今後の日本における「表現の自由」の試金石となっていくでしょう。
<投稿>
天皇コラージュ事件裁判について
坂本義夫(弁護士・法学館憲法研究所賛助会員)
私はこの事件の訴訟等には関わってはいないが,判決書を読んだ感想を述べさせていただく。
1 本件作品と図録の非公開・廃棄を求める動きはすさまじかったようである。
1986年6月4日,富山県議会議員が,本件作品を見て不快感を覚えたとして,県議会において本件作品の選考意図等について質問し,この質疑が翌日の新聞紙上で大きく報道されると,本件作品及び本件図録の廃棄等を求める行動が次々と出てきた。第1審判決が認定した事実に限ってみても,以下のような行動が行われた。
同年6月6日と7日県内の神主らによる美術館に対する抗議(電話・訪問)に始まり,同月中に右翼団体等による県や美術館に対する抗議が5回行われている。同月21日には,「大日本量武会」なる団体等30数団体の約220名,車52台が富山城址公園に集合し,県庁周辺,富山市内において街宣活動をし,同月23日には,「日本国士会」なる団体が,県に対し,「我々は極右の団体である。作品が将来展示されないといっても,そこにあるということが納得できない。過激な行動をとらざるを得ない。」旨の電話をかけている。
その後も,1990年5月20日までの間に,県に対し,本件作品の引き渡し,廃棄,作者への返却等を要求する行動が数回あった。
また,同年8月17日には,「大東塾」なる団体の構成員が県知事宅にまで現れ,本件作品の廃棄等を求め,さらには,1992年8月4日,同構成員が県庁知事室に侵入し,県知事に対し棒で殴りかかろうとする事件(「県知事暴行未遂事件」)が発生した。
同月8日,「皇室の尊厳を護る県民の会」は,県に対し,「あらゆる手段をとっても破棄させる。こんなもの残せばまた犯罪を出すことになる。これでよいのか。」,「我々はやさしくはない。裁判が長引いても徹底してやる。県が破棄しないなら美術館を壊すことだってある。それでもよいのか。」などと告知し,同年12月16日,野田なる人物が,美術館に対し,「なくなるまでわれわれは行動する。」などと言って,本件作品・図録の廃棄を要求した。
第1審判決は,上記のような行動を,「常軌を逸した不当な活動」と表現している。県は,このような「常軌を逸した不当な行動」に屈する形で,本件作品を非公開とした上で他に売却し,図録を焼却したのである。
2 第1審は,県民の知る権利の重要性の観点から,美術館の作品非公開措置が許される場合を厳格に限定して,以下のように判示した。
「美術館が管理運営上の障害を理由として作品及び図録を非公開とすることができるのは・・・利用者の知る権利を保障する重要性よりも,美術館で作品及び図録が公開されることによって,人の生命,身体又は財産が侵害され,公共の安全が損なわれる危険を回避,防止することの必要性が優越する場合であり,その危険性の程度としては,単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず,客観的な事実に照らして,明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」(下線部引用者)
そして,本件においては,危険を回避しうる他の方法があること等を指摘し,非公開措置を違法と認め,原告らの慰謝料請求認容した。
3 これに対し,第2審は,
「美術館という施設の特質からして、利用者が美術作品を鑑賞するにふさわしい平穏で静寂な館内環境を提供・保持することや,美術作品自体を良好な状態に保持すること(破損・汚損の防止を含む。)もその管理者に対して強く要請されるところである。これらの観点からすると,県立美術館の管理運営上の支障を生じる蓋然性が客観的に認められる場合には,管理者において,右の美術品の特別観覧許可書を不許可とし,あるいは図録の閲覧を拒否しても,公の施設の利用の制限についての地方自治法244条2項の『正当な理由』があるものとして許される(違法性はない)」(下線部引用者)
と判示して,第1審よりも緩やかな基準を立て,慰謝料請求を棄却した。
4 第2審に従うと,ある作品の公開に反対する者が「常軌を逸した不当な行動」を取れば,美術館はその作品を公開しなくてもよいということになる。表現の自由や知る権利の重要性からすると,行政は,「常軌を逸した不当な行動」をこそ規制すべきなのであって,作品の非公開を安易に認めるべきではないと思う。

天皇を訴える?<刑事編>
例えば誰かとすれ違ったとき、不注意によって相手に怪我を負わせたとしましょう。
法的には刑事上の問題と民事上の問題が生じるのですが、この場合、刑事的には「過失傷害罪」の問題であり、民事的には「損害賠償」の問題です。
しかし怪我を負わせた者が天皇であった場合、これをどのように考えればよいのでしょうか。
刑事上の問題と民事上の問題は性質が異なりますので、別々に分けて考えてみます。
今回は刑事上の問題について、次回は民事上の問題についてお話します。
さて、刑事上の問題といっても、「刑事裁判権」と「刑事責任」の2つに分けられます。
先ずは天皇と刑事裁判権の関係を検討しましょう。
当たり前といえば当たり前なのですが、そもそも天皇が刑罰を受けた裁判例などありません。
また直接的な条文規定もないのですが、あえて言えば皇室典範第21条に求めることができると考えられています。

【皇室典範第21条】
摂政は、その在任中、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

「訴追」という言葉ですが、これは刑事訴訟で使われるものであり、民事訴訟で使われることはあまりありません。
さて、条文から明らかなように、摂政ですら在任中は訴追されないわけですから、天皇なら勿論訴追されないと解釈できるのです。
これを法学では「勿論解釈」といい、立派な法学用語であります。
逆に、天皇と摂政は違うのだから、天皇は訴追されると解釈することは、理屈の上では可能です。
これを法学では「反対解釈」というのですが、殆んど支持されていない解釈であります。
但し、在任中は訴追出来ないだけであり、在任中でなければ訴追は可能です。
とはいっても、皇位継承の要件は天皇崩御ですから(皇室典範第4条)、天皇の生存中は訴追されることがないのです。
なお、訴追という用語に明確な定義がなく、天皇の訴追に関していえば、逮捕、勾留も通説では訴追に含まれます。
しかし訴追の権利は害されないわけですから、これを素直に解釈すれば、天皇の崩御後なら犯罪の疑いのある行為や事実を捜査することは出来るわけです
ただし、被疑者「崩御」として検察官送致が出来るまでで、崩御している以上、不起訴処分とするしかありません。
従って結論としては、天皇には刑事訴訟権は及ばない、すなわち、検察は天皇を被告人として刑事裁判を起こすことは出来ないのです。

次に、天皇を刑事責任に問えるか否かを検討してみましょう。
刑事責任というのは、単純に「刑法上の責任」と考えて差し支えありません。
さきほどの皇室典範第21条を文字通りに解釈した限りでは、たとえ天皇であっても犯罪行為、犯罪事実そのものを払拭することは出来ないものであります。
その意味においては天皇も刑事責任を有しています。
これは、刑法第1条にその根拠を求めることが出来るのです。

【刑法第1条第1項】
この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。

すべての者とあるから、天皇も1個人であるだけなら天皇にも適用されて然るべきでしょう。
しかし、天皇の場合、そう単純な話ではないのです。
なぜならこれは、今回及び次回の話の中心となる日本国憲法第1条の規定があるからです。

【日本国憲法第1条】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

すなわち、天皇は単なる個人だけでなく、「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」でもあるからです。
これは天皇の三面性といわれる極めて特殊な存在であり、天皇は特別格段の地位にあるのです。
この3つの立場を時々に応じて切って切り離すことが出来るなら、上記の「すべての者」の適用を当然に受けることとなります。
しかし、この3つの立場はいつ如何なる場合においても切り離すことは不可能と考えるのが自然であり、法学でも争いはありません。
従って、「個人としての天皇も刑法の適用を受けるが、同時に象徴という特別格段の地位を有しているが故に刑法上のすべての者に該当しない」ということです。
ややこしい言い回しに聞こえるかもしれませんが、要するに俗な言い方をすれば、「人は犯罪人になっても、日の丸は犯罪人にならない」ということです。
結局のところ、刑事裁判権についても天皇の象徴性が前提となっているのです。
もっとも、象徴を法的に定義することは簡単ではないのですが、世界に誇るべき永い歴史、伝統、文化を有する「日本国」と、日本固有の精神を有する「総ての日本人」とを統合する「天皇の地位の尊厳性重大性」から、「天皇が罪を犯す」ことなど想定していないのです。

以上より結論としては、「天皇には刑事責任はなく、天皇に対し刑事訴訟を起こせない」のです。
ただし、刑事訴訟と刑法は本来的には別物であり、天皇に刑事訴訟権が及ばないこと「のみ」をもって直ちに刑事責任が排除されるものではないことに注意して頂ければと思います。
次回は民事上の問題についてです。

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