憲法 26条-28条/103条 教育

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 

2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 

内容のつまった自由権の勉強が終わり、今回から2回にわたって社会権を学びます。

社会権は、社会的弱者が人間に値する生活を送れるよう国家に一定の配慮を求める権利のことです。社会権には、①生存権、②教育を受ける権利、③勤労の権利、④労働基本権――の4つがありますが、今回は、生存権と教育を受ける権利を解説します。

Ⅰ.生存権

生存権とは、ずばり憲法25条1項に書いてある「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」です。社会権として取り上げたこの生存権には、実は次の2つの側面があります。
①国民は各自、自分の手で健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をもっていて、国家がそれを邪魔してはいけない
②国民は、国家に対して、健康で文化的な最低限度の生活の実現を求めることができる
①は自由権的な側面で、法としての拘束力を持つ法規範性と具体的な争訟の基準として裁判所によって執行が可能な裁判規範性があると言われています。
②は社会権的な側面で、これには、2つの解釈が存在します。
1つは、プログラム規定説で、②の社会権としての側面を認めず、25条は国家の政治的・道義的な責任を宣言したに過ぎないとする考えです。すなわち、健康で文化的な最低限度の生活はその時代時代によって変化していくので、社会権としての生存権は、例えば生活保護法などの具体的な法律の制定が行われて、国家に対して請求できると解釈しています。
他方、具体的権利説では、②の社会権としての生存権も25条を根拠に保障された具体的な人権だとしています。
判例は、①のプログラム規定説を採用していますが、その例として、「朝日訴訟事件」と「堀木訴訟事件」の2つを紹介します。
「朝日訴訟事件」は、朝日さん(原告)は国から月600円の生活保護給付金を受領して生活していましたが、月々600円での生活は困難だったので、保護給付金の増額を求めましたが認められなかったため、月600円の生活給付が憲法25条で規定している健康で文化的な最低限度の生活の維持に値するか否かを問うた事件です。

この事件は、裁判の途中で原告が死亡し、訴え却下となりましたが、念のためとして傍論として判示が延べられ、25条の解釈(プログラム説の採用)として引き継がれています。
さて、もう一件の「堀木訴訟事件」は、原告である堀木さんは、視力に障害があって、昭和45年当時の「国民年金法」に基づいて障害福祉年金を受給中、離婚しました。その後自らの子供を養育していたことから生別母子世帯として児童扶養手当も受給できるものと思い知事に対し請求しました。しかし、当時の児童扶養手当制度には手当と公的年金の併給禁止の規定があったことから、児童扶養手当の請求が認められなかったことで、この処分を不服として提訴しました。

この事件で、25条に関しては朝日訴訟事件の傍論を踏襲し、25条の規定は権利ではなく責務を定めたに過ぎないとして権利性を否定したプログラム規定説に近い立場をとっています。また、この判例は、正面から25条と社会保障制度の関係を扱ったことで、後の社会保障と25条の関係で争われた訴訟でしばしば引用されており、最高裁のとる25条の違憲審査基準を示した判決として重要な意義を持っています。

Ⅱ.教育を受ける権利

この教育を受ける権利も、
①国民が自己の望む教育を受けることを国家によって妨害されないという自由権的側面
②国民は国家に対して合理的な教育制度を整備することと、その制度の下で適切な教育を受けることを要求することができるという社会権的側面
――を持っています。
ここでいう教育には、子供が学校で受ける教育に限らず、家庭での教育、社会教育、成人してからの教育(生涯教育とか言われていますね!)も含まれます。現在ではさらに、自分の力では教育を受ける機会を確保しにくい子供が、教育を受けて学習し、人間的に発達・成長していく権利=学習権として捉えることもあります。
26条1項の能力において等しくとは、従来は、憲法14条の平等原則が教育に関して及ぶことを確認したものと理解されていました。しかし、現在では、上記の学習権の観念が広く認められるようになってきたので、単に教育に関しての平等原則の確認だけでなく、子供の心身の発達に応じた教育の保障と理解されています。分かりやすく例えると、身体に障害を持つ児童が教育を受けるために、一般的な児童の場合以上の設備を整えることを国家や公共団体に対して要求できること――などです。過去に、重度の身体障害を負った児童が公立高校を受験した際に、身体障害があることを理由に全過程を履修する見通しがないことを理由に不合格とした処分の違憲性が問われた事件がありました。この事件は、下級裁判所での裁判でしたが、障害があってもその能力の全面的な発達を追求することが憲法で保障されているとはっきり結論されました【神戸地判平4.3.13】。
26条2項は、1項の教育を受ける権利、特に子供の普通教育を受ける権利を実質化させる規定です。
子供にとっての普通教育を受ける権利は、親権者にとっては「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」であり、国家にとっては「子供が義務教育を受けることのできる制度を整備する義務」を意味します。
この国家にとっての義務教育制度の整備の一環として「義務教育の無償」が規定されているのです。この無償については、どの範囲を無償とするかについて意見が分かれていますが、判例では、教育の対価である授業料の無償が保障されているとしています。
ここまで、26条を見てきましたが、教育の自由に関しての憲法上の規定が見当たりません。しかし、これについては、この26条で、いや13条(幸福追求権)で、いやいや23条(学問の自由)で、はたまた、教師の教育の自由は23条で、親の教育の自由は26条で――と見解は、さまざまですが、一貫して教育の自由は憲法で保障されているとする点では一致しています。

 

 

東大ポポロ事件(最大判昭38.5.22)

事例

学生Aは、東大の構内でポポロ劇団主催の演 劇発表会が行われた際、観客の中に情報収集 を目的とする私服警察官がいるのを見つけ、 これに暴行を加えたため、暴力行為等処罰法 違反で起訴された。しかし、第1審及び第2 審が、Aの行為は学問の自由と大学の自治に 対する侵害行為を阻止するものであるとし て、Aに無罪を言い渡したため、検察側がこ れを不服として上告した。

判例の 見解

①学問の自由の内容 学問の自由は、学問的研究の自由とその研 究結果の発表の自由とを含むものであって、 憲法23条が学問の自由はこれを保障すると 規定したのは、一面において、広くすべての 国民に対してそれらの自由を保障するととも に、他面において、大学が学術の中心として 深く真理を探究することを本質とすることに かんがみて、特に大学におけるそれらの自由 を保障することを趣旨としたものである。教 育ないし教授の自由は、学問の自由と密接な 関係を有するけれども、必ずしもこれに含ま れるものではない。しかし、大学において教 授その他の研究者がその専門の研究の結果を 教授する自由は、これを保障される。すなわ ち、教授その他の研究者は、その研究の結果 を大学の講義または演習において教授する自 由を保障されるのである。 ②大学の自治の内容 大学における学問の自由を保障するため に、伝統的に大学の自治が認められている。 この自治は、とくに大学の教授その他の研究 者の人事に関して認められ、大学の学長、教 授その他の研究者が大学の自主的判断に基づ いて選任される。また、大学の施設と学生の 管理についてもある程度で認められ、これら についてある程度で大学に自主的な秩序維持 の権能が認められている。このように、大学 の学問の自由と自治は、大学が学術の中心と して深く真理を探求し、専門の学芸を教授研 究することを本質とすることに基づくか ら、直接には教授その他の研究者の研究、そ の結果の発表、研究結果の教授の自由とこれ らを保障するための自治とを意味する。大学 の施設と学生は、これらの自由と自治の効果 として、施設が大学当局によって自治的に管 理され、学生も学問の自由と施設の利用を認 められるのである。 ③実社会の政治的社会的活動に当たる行為 をする学生の集会は、学問の自由によって 保障されるか。

学生の集会が真に学問的な研究またはその 結果の発表のためのものでなく、実社会の政 治的社会的活動に当たる行為をする場合に は、大学の有する特別の学問の自由と自治は 享有しない。また、その集会が学生のみのも のでなく、とくに一般の公衆の入場を許す場 合には、むしろ公開の集会と見なされるべき であり、すくなくともこれに準じるものとい うべきである。 ④本件集会への警察官の立入りは、大学の 学問の自由と自治を侵害するか。

本件集会は、真に学問的な研究と発表のた めのものでなく、実社会の政治的社会的活動 であり、かつ公開の集会またはこれに準じる ものであって、大学の学問の自由と自治は、 これを享有しない。したがって、本件の集会 に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の 自由と自治を犯すものではない。

判例の POINT

①本判決は、学問の自由には「研究の自由」 と「研究結果の発表の自由」が含まれること を明らかにしている。そして、「教授の自 由」については、大学における教授の自由の みが学問の自由の内容として保障されるとし ている。 ②本判決は、学生を大学の自治の担い手とし てとらえず、大学施設の利用者ととらえてい る。 ③学生の集会が学問の自由によって保障され るか否かの判断基準として、本判決は、当該 集会が学問的な活動かそれとも実社会の政治 的社会的活動かを問題にしているが、両者を 区別することは困難な場合が多いとの批判が ある。

旭川学テ事件(最大判昭51.5.21)

事例

中学校の教師Aは、全国中学校一せい学力調 査を阻止する目的で中学校に侵入し、校長等 に暴行を加えたため、建造物侵入罪、公務執 行妨害罪等で起訴された。

判例の 見解

①子どもの学習権 憲法26条の背後には、国民各自が、一個 の人間として、また、一市民として、成長、 発達し、自己の人格を完成、実現するために 必要な学習をする固有の権利を有すること、 特に、みずから学習することのできない子ど もは、その学習要求を充足するための教育を 自己に施すことを大人一般に対して要求する 権利を有するとの観念が存在していると考え られる。換言すれば、子どもの教育は、教育 を施す者の支配的権能ではなく、何よりもま ず、子どもの学習をする権利に対応し、その 充足をはかりうる立場にある者の責務に属す るものとしてとらえられているのである。 ②普通教育における教師には完全な教授の 自由が保障されているか。

憲法の保障する学問の自由は、単に学問研 究の自由ばかりでなく、その結果を教授する

自由をも含むと解されるし、更にまた、 専 もっぱら自由な学問的探求と勉学を旨とする大学教 育に比してむしろ知識の伝達と能力の開発を 主とする普通教育の場においても、例えば教 師が公権力によって特定の意見のみを教授す ることを強制されないという意味において、 また、子どもの教育が教師と子どもとの間の 直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて 行われなければならないという本質的要請に 照らし、教授の具体的内容及び方法につきあ る程度自由な裁量が認められなければならな いという意味においては、一定の範囲におけ る教授の自由が保障されるべきことを肯定で きないではない。しかし、大学教育の場合に は、学生が一応教授内容を批判する能力を備 えていると考えられるのに対し、普通教育に おいては、児童生徒にこのような能力がな く、教師が児童生徒に対して強い影響力、支 配力を有することを考え、また、普通教育に おいては、子どもの側に学校や教師を選択す る余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上 からも全国的に一定の水準を確保すべき強い 要請があること等に思いをいたすときは、普 通教育における教師に完全な教授の自由を認 めることは、とうてい許されない。 ③子どもの教育内容を決定する権能は誰に あるか。 まず親は、子どもに対する自然的関係によ り、子どもの将来に対して最も深い関心をも ち、かつ、配慮をすべき立場にある者とし て、子どもの教育に対する一定の支配権、す なわち子女の教育の自由を有すると認められ るが、このような親の教育の自由は、主とし て家庭教育等学校外における教育や学校選択 の自由にあらわれるものと考えられるし、ま た、私学教育における自由や教師の教授の自 由も、それぞれ限られた一定の範囲において これを肯定するのが相当であるけれども、そ れ以外の領域においては、一般に社会公共的 な問題について国民全体の意思を組織的に決 定、実現すべき立場にある国は、国政の一部 として広く適切な教育政策を樹立、実施すべ く、また、しうる者として、憲法上は、ある いは子ども自身の利益の擁護のため、あるい は子どもの成長に対する社会公共の利益と関 心にこたえるため、必要かつ相当と認められ る範囲において、教育内容についてもこれを 決定する権能を有するものと解さざるをえ ず、これを否定すべき理由ないし根拠は、ど こにもみいだせない。

判例の POINT

①本判決は、教育を受ける権利を子どもの学 習権を中心としてとらえるべきことを明らか にしたものである。 ②「学問の自由は、大学以外の下級教育機関 における教授の自由をも保障しているか」と いう問題について、東大ポポロ事件判決はこ れを否定していたが、本判決は、これを肯定 している。 ③教育内容を決定する権能は誰にあるか(教 育権の所在)という問題については、従来、 国家にあるとする国家教育権説と国民にある とする国民教育権説の厳しい対立があった。 本判決は、いずれの見解も極端かつ一方的で 採用できないとし、親、教師、私学、国家そ れぞれが一定の領域で教育権を有するという 見解を採った。

チェック判例

憲法26条2項後段の「義務教育は、これを無 償とする。」とは、国が義務教育を提供するにつ き有償としないこと、換言すれば、子女の保護者 に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、 その対価を徴収しないことを定めたものであり、 教育提供に対する対価とは授業料を意味するもの と認められるから、同条項の無償とは授業料不徴 収の意味である(最大判昭39.2.26)

 

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

 

2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

 

3  児童は、これを酷使してはならない。

 

憲法で規定された人権の一つ社会権についての続きを見てみましょう。

前回に、生存権と教育を受ける権利を学びましたが、社会権には、③勤労の権利と④労働基本権もあります。今回は、この2つの権利について解説します。

Ⅲ.勤労の権利

勤労の権利は憲法の第27条に規定されています。
前回、国は国民の生存権維持のために努めなければならないことは25条に明らかにされていることを覚えましたね。でも実際は、国民一人ひとりの生存は、各自が勤労することによって確保されていると思いませんか? そこで、27条の1項では、国民は勤労の権利を有すると同時に勤労の義務も負うことを規定したと考えられています。
勤労の自由は、
①働くことを公権力に妨害されない、という自由権的側面
②勤労者が国に対してその最低限の生活を維持するための諸政策の立案・実施を要求する、という社会権的側面
――を持っています。気づかれたとは思いますが、社会権として扱われている内容は、ほとんど自由権的側面と社会権的側面を持っていることを覚えておいてください。
さて、勤労の権利としての自由権的側面は22条の職業選択の自由・営業の自由と重なります。ですから、27条は、勤労権の社会的側面を保障する点において重要な意味があると言えます。現在、27条の趣旨を具体化した法律に、職業安定法、雇用保険法、男女雇用機会均等法――などが規定されています。
勤労の義務とは、「働く能力がある人は、自分が勤労することで生活を維持するべきである」という考えですが、国家が国民に対して法的に勤労を強要する趣旨ではありません。とはいえ、実際に働けるのに働かない者に対して、生活保護の受給対象から外すといった扱いは許されるとされています。
次に27条2項は、賃金、就業時間、休息などの勤労条件は、法律で定められると規定しています。我が国では、私人間(個人対個人のことで、会社などの法人も含まれます)の契約は自由が原則ですが、経済的に劣位にいる労働者が不利な条件で雇用契約を結ばざるを得なかった歴史を反省し、勤労条件の設定に国が関与し労働者の保護を図っている点に注意が必要です。2項を具体化した法律に、労働基準法があります。
そして27条の3項では、児童の酷使を禁止しています。仮にこの規定がなかったとしても、2項の規定から児童の酷使は禁止できますが、世界的にも、我が国でも年少者の酷使が繰り返されていたという歴史から、特に3項として明記しています。

Ⅳ.労働基本権

憲法28条は、労働者の労働基本権を保障しています。労働基本権は、国民一般に保障される権利ではなく、勤労者に対してだけ保障される権利で、次の3つの側面があります。
①労働者には争議行為を行う自由、また、労働を放棄する自由が認められ、争議行為や労働放棄を行っても国家権力の行使(刑罰など)を受けないという側面
②正当な争議行為は、争議を行っても解雇されないし、損害賠償責任も追及されないという側面
③使用者(雇っている側)による労働基本権侵害に対して、国による行政的な救済を受けることができるという側面

また、労働基本権の内容には、
①団結権
②団体交渉権
③団体行動権(争議権)――の3つの内容があります。
団結権は、勤労条件の設定・維持・改善のために、使用者と対等の交渉ができるよう団体を結成したり、団体に参加したりする権利です。一般に団体を結成する自由や団体に参加する自由は憲法21条の結社の自由で保障されていたのを覚えていますか? 27条ではさらに、特に労働者に対する結社の自由、すなわち、労働組合の結成と参加を保障している点が興味深いと言えます。
ところで、使用者との対抗組織としての労働組合の強化のために、労働者に労働者団体への加入が強制されることが一般的に見られます。例えば、労働組合への加入が雇用条件となっている「クローズド・ショップ制」や、労働組合への加入は雇用条件ではないものの、雇用後一定期間内に労働組合に加入しなければならない「ユニオン・ショップ制」などです。これらの組合加入制度は、団体に参加しない自由も保障した28条に違反しないのでしょうか?
一般的には、①団体権保障の実質を確保するには組合員数の確保が必須であること、②労働組合に参加したくない労働者が他の企業に就職することまで妨げていない――などの理由で違憲ではないとされています。
また、労働組合内部の統制についても、労働組合の団結を確保するために一定の内部統制権を認めるのが通説です。しかし、それが組合活動に必要な限度を超えて、個々の労働者の権利を不当に侵害することは許されません。その例として、「三井美唄(びばい)炭鉱労組事件」を見てみましょう。この事件の概要は次のとおりです。
北海道三井美唄炭鉱労働組合の執行機関を構成する役員が、美唄市議会議員選挙に際して、組合員の中から組合機関の議決を経て統一候補を決定しました。一方、前回選挙に統一候補として当選して、現職である組合員Aは、任期中に定年退職となる者は推薦しないという組合内の基準に基づいて、今回は、統一候補として推薦されませんでした。それでもAは独自の立場で市議選に立候補しようとしましたが、組合役員は票割れを防ぐため、Aに立候補を断念するよう数次にわたり説得を試み、それを拒絶したAに対して、組合の機関決定により組合規約に基づく処分がある旨の圧力をかけたうえ、統制違反者として1年間、組合員としての権利を停止する旨通告するなどの行為を行いました。そこで、組合役員らが、公職選挙法225条違反として起訴された事件です。

この事件では、労働組合の統一候補者の決定に反対した組合員が独自に立候補したため、労働組合がその組合員を除名処分したことが公職選挙法に違反しないかが問題となりました。最高裁は、労働組合はその活動に必要な一定の範囲で内部統制権があるとしたうえで、労働組合の統一候補者の選定に反対する組合員の説得や勧告は許されるが、除名にするなどの行為は統一権を超えているので許されないとしています。
次に団体交渉権とは、労働者の団体がその代表を通じて、労働条件について使用者と交渉する権利のことです。具体的な内容は労働組合法に規定されていますが、使用者は正当な理由がない限り団体交渉を拒むことはできません。
また、団体交渉によって合意した内容について労働協約が締結された場合には、労働者との労働契約の内容を労働協約の内容と同じに変更しなければなりません。
また、団体行動権は、労働者の団体が労働条件の実現を図るために団体行動を行う権利のことで、中心となるのは、いわゆるストライキやボイコットなどの争議行動です。憲法上争議権が保障されている具体的な意味は、正当な争議行動ならば、刑事責任、民事責任のいずれもが免除されるという点にあります。
では、法的責任を問われない正当な争議行為と、正当でない争議の区別ってどのように判断されるのでしょうか?
通説では、行為の目的、手段・態様で判断されることになっています。目的では、例えば内閣の退陣のように労働条件の内容と一致しない政治目的のストライキは正当でないと判断されています。
また、手段・態様では、暴力はもちろん正当でないですし、労働者が使用者の指揮・命令を排除して生産管理を行うことも正当でないとしています。

 

 

 

第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 

 

全農林警職法事件(最大判昭48.4.25)

事例

国家公務員である農林省(現農水省)の職員 で組織された全農林労組の幹部Aは、組合員 に対し勤務時間内に開催する警察官職務執行 法(警職法)改正に反対する職場集会への参 加を呼びかけ、午後からの出勤を指令したこ とが国家公務員法(国公法)の禁止する違法 争議のあおり行為に該当するとして起訴され 有罪判決を受けた。そこで、Aは、国家公務 員の争議行為を禁止する国家公務員法の規定 は、憲法28条、21条等に違反するとして上 告した。

判例の 見解

①憲法28条による労働基本権の保障は、公 務員にも及ぶか。

公務員は、私企業の労働者とは異なり、使 用者との合意によって賃金その他の労働条件 が決定される立場にないとはいえ、勤労者と して、自己の労務を提供することにより生活 の資を得ているものである点において一般の 勤労者と異なるところはないから、憲法28 条の労働基本権の保障は公務員に対しても及 ぶ。ただ、この労働基本権は、勤労者の経済 的地位の向上のための手段として認められた ものであって、それ自体が目的とされる絶対 的なものではないから、おのずから勤労者を 含めた国民全体の共同利益の見地からする制 約を免れないものであり、このことは、憲法 13条の規定の趣旨に徴しても疑いのないと ころである。 ②公務員の労働基本権に制限を加えること に合理性はあるか。

公務員は、私企業の労働者と異なり、国民 の信託に基づいて国政を担当する政府により 任命されるものであるが、憲法15条の示す とおり、実質的には、その使用者は国民全 体であり、公務員の労務提供義務は国民全体 に対して負うものである。もとよりこのこと だけの理由から公務員に対して団結権をはじ めその他一切の労働基本権を否定することは 許されないのであるが、公務員の地位の特殊 性と職務の公共性にかんがみるときは、これ を根拠として公務員の労働基本権に対し必要 やむをえない限度の制限を加えることは、十 分合理的な理由がある。 ③公務員の争議行為及びあおり行為を禁止 することは、憲法28条に違反するか。

公務員の給与をはじめ、その他の勤務条件 は、私企業の場合のごとく労使間の自由な交 渉に基づく合意によって定められるものでは なく、原則として、国民の代表者により構成 される国会の制定した法律、予算によって定 められることとなっている。…また、一般の 私企業においては、その提供する製品または 役務に対する需給につき、市場からの圧力を 受けざるをえない関係上、争議行為に対して も、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然 とするのに反し、公務員の場合には、そのよ うな市場の機能が作用する余地がないため、 公務員の争議行為は場合によっては一方的に 強力な圧力となり、この面からも公務員の勤 務条件決定の手続をゆがめることとなる。… そして、公務員たる職員は、個別的にまたは 職員団体を通じて俸給、給料その他の勤務条 件に関し、人事院に対しいわゆる行政措置要 求をし、あるいはまた、もし不利益な処分を 受けたときは、人事院に対し審査請求をする 途も開かれている。このように、公務員は、 労働基本権に対する制限の代償として、制度 上整備された生存権擁護のための関連措置に よる保障を受けているのである。以上に説明 したとおり、公務員の従事する職務には公共 性がある一方、法律によりその主要な勤務条 件が定められ、身分が保障されているほか、 適切な代償措置が講じられているのであるか ら、国公法98条5項がかかる公務員の争議 行為およびそのあおり行為等を禁止するの は、勤労者をも含めた国民全体の共同利益の 見地からするやむをえない制約というべきで あって、憲法28条に違反するものではな い。 ④違法な争議行為をあおる等の行為をした 者に罰則を科す国家公務員法110条1項17 号は、憲法18条、28条に違反するか。

国公法110条1項17号は、公務員の争議行 為による業務の停廃が広く国民全体の共同利 益に重大な障害をもたらす虞れのあることを 考慮し、公務員たると否とを問わず、何人で あってもかかる違法な争議行為の原動力また は支柱としての役割を演じた場合について は、そのことを理由として罰則を規定してい るのである。…違法な争議行為をあおる等の 行為をする者は、違法な争議行為に対する原 動力を与える者として、単なる争議参加者に くらべて社会的責任が重いのであり、…とく に処罰の必要性を認めて罰則を設けること は、十分に合理性がある。したがって、国公 法110条1項17号は、憲法18条、憲法28条に 違反するものとはとうてい考えることができ ない。 ⑤違法な争議行為をあおる等の行為をした 者に罰則を科す国家公務員法110条1項17 号は、憲法21条に違反するか。

違法な争議行為をあおる等の行為をあえて することは、それ自体がたとえ思想の表現た るの一面をもつとしても、公共の利益のため に勤務する公務員の重大な義務の懈怠を慫慂 する(誘いすすめること)にほかならないの であって、結局、国民全体の共同利益に重大 な障害をもたらす虞れがあるものであり、憲 法の保障する言論の自由の限界を逸脱するも のというべきである。したがって、あおり等 の行為を処罰すべきものとしている国公法 110条1項17号は、憲法21条に違反するもの ということができない。

判例の POINT

本判決は、公務員の地位の特殊性と職務の公 共性を強調して国民全体の共同利益への影響 を重視し、①公務員の勤務条件は、私企業の ような労使間の自由な交渉に基づく合意に よって定められるものではなく、国会の制定 した法律・予算によって定められるから、政 府に対する争議行為は的はずれであること (勤務条件の法定)、②公務員の争議行為に は私企業の場合とは異なり市場の抑制力がな いこと、③人事院をはじめ制度上整備された 代償措置が講じられていること等を挙げ て、公務員の争議行為を禁止することは憲法 に違反しないとした。

関連判例

全逓東京中郵事件(最大判昭41.10.26) 全逓の役員が、東京中央郵便局の職員に対して争 議行為をそそのかしたとして起訴された事件。 最高裁は、労働基本権の制限は、①労働基本権を 尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増 進する必要とを比較衡量し、合理性の認められる必 要最小限度にとどめること、②国民生活に重大な障 害をもたらすおそれのあるものを避けるため必要 やむを得ない場合に限ること、③違反者に課せられ る不利益は必要な限度をこえず、とくに刑事制裁は 必要やむを得ない場合に限ること、④制限がやむを 得ない場合は、これに見合う代償措置が講ぜられ なければならないことなどを判示した。

都教組事件(最大判昭44.4.2) 争議行為を禁止し、そのあおり行為を処罰の対象 としている地方公務員法(37条1項・61条4号) の合憲性が争われた事件。 最高裁は、合憲限定解釈の手法をとり、かつ、処 罰の対象となる行為は争議行為・あおり行為とも 違法性の強いものに限られるといういわゆる「二重 のしぼり」の限定を加えて、被告人を無罪とした。

チェック判例

地方公務員は、労務を提供し賃金を得て生活 する者であるから、一般私企業の労働者と同様、 憲法28条の「勤労者」に該当する(最大判昭 40.7.14)。

東京都公安条例事件(最大判昭35.7.20)

事例

Aは、東京都公安委員会の出した許可条件に 反して集団行進を指導したとして東京都公安 条例違反で起訴された。第1審が本条例は憲 法21条に違反するとしてAに無罪を言い渡 したため、検察官は上訴してこれを争った。

判例の 見解

①集団行動の自由は、憲法21条によって保 障されているか。 〔肯定〕 およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、 修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事をのぞ いては、通常一般大衆に訴えんとする、政 治、経済、労働、世界観等に関する何等かの 思想、主張、感情等の表現を内包するもので ある。この点において集団行動には、表現の 自由として憲法によって保障さるべき要素が 存在することはもちろんである。 ②集団行動の自由を公安条例によって規制 する必要はあるか。

集団行動による思想等の表現は、単なる言 論、出版等によるものとは異なって、現在す る多数人の集合体自体の力、つまり潜在する 一種の物理的力によって支持されていること を特徴とする。かような潜在的な力は、ある いは予定された計画に従い、あるいは突発的 に内外からの刺激、せん動等によってきわめ て容易に動員され得る性質のものである。こ の場合に平穏静粛な集団であっても、時に昂 奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合 には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を 蹂躪 じゅうりん し、集団行 動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如 何ともし得ないような事態に発展する危険が 存在すること、群集心理の法則と現実の経験 に徴して明らかである。従って地方公共団体 が、集団行動による表現の自由に関するかぎ り、いわゆる「公安条例」を以て、地方的情 況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測 の事態に備え、法と秩序を維持するに必要か つ最小限度の措置を事前に講ずることは止む を得ない。 ③公安条例の違憲審査基準 いかなる程度の措置が必要かつ最小限度の ものとして是認できるかについては、公安条 例の定める集団行動に関して要求される条件 が「許可」を得ることまたは「届出」をする ことのいずれであるかというような、概念な いし用語のみによって判断すべきでない。ま た、その判断にあたっては条例の立法技術上 の欠陥にも拘泥してはならず、条例全体の精 神を実質的かつ有機的に考察しなければなら ない。

判例の POINT

①本判決は、集団行動の自由に憲法21条の 保障が及ぶことを明らかにしている。 ②本判決が、集団行動には物理的力が潜在し ており、一瞬にして暴徒と化すおそれがある (集団暴徒化論)ことを理由に規制の必要性 を認めている点には、新潟県公安条例事件 (最大判昭29.11.24)よりも集団行動の保障 水準が大幅に後退しているとの批判がなされ ている。 ③本判決は、公安条例の合憲性は、「許可な ら違憲、届出なら合憲」というように形式的 に判断すべきではなく、条例全体の精神を実 質的かつ有機的に考察して判断すべきである としている。その上で、本条例は不許可の場 合を厳格に制限しており、実質的に届出制と 異ならない等の理由から合憲という結論を導 いている。

 

 

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